創作物の講評をするときに、忌憚なく意見できることは重要だ。気を使って本質をついた議論ができないのでは、成果はあまり期待できない。仲良しサークルで「◯◯ちゃん、絵上手〜」とワイワイやるのも楽しいが、良いところを伸ばすと同時に、悪いところを修正できなければ創作者のさらなる成長は見込めない。
しかし、講評者が感じたことを講評者が書きたいように吐露する文章は、講評というよりただの感想文だ。講評というのは、その先に、創作者や創作物をより良く導くという目標がある。否定するだけで創作物が良くなったという例は、寡聞にして知らない。否定するだけでなく、具体性を持って指摘する、代案を出す、長所でカバーさせるなど、講評者ができることは多い。
忌憚なく意見をいうことと、漠然とした批評をすることは同じではない。歯に衣着せぬ率直な物言いが、ときに創作者に不愉快にに受け取られることはある。創作物の否定は少なからず創作者の考えを否定するものだから、快感に思う人は少ないだろう。ただ、創作物を漠然と否定するだけの講評に、どんな意味があるというのか。
講評するときは、忌憚なく意見を述べることと、漠然とした否定を連ねることを混同してはいけない。創作物に限らず、物事をただ漠然と否定するのは簡単だ。加えて、物事を否定する自分が偉くなったように錯覚するから、気持ちいい。しかし、感想文ではなく講評したいなら、作品をより良くするために何を伝えるべきか、一度立ち止まって、考えてみるのが良いのではないだろうか。
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